相手を話に注目させるコツは声の大きさより出し方

どなり声と表現は相反するもの

衆議院選挙が終わりましたね。
選挙後すぐ、テレビには立候補されていた方々がお礼やお詫びのあいさつをされている姿が何度も映し出されていました。

それを見ていた友人たちは、出てくる人が変わるたびに「この人はあんまり演説しなかったみたい。なのに当選したんだ。」「この人は一生懸命演説したのに落選したんだ。」といったようなことをしきりに話していました。
「どうして分かるの?」と尋ねてみたところ、“声がかすれているか、きれいなままかの違い”が判断材料なのだとか。

「声がかれているのと一生懸命にスピーチすることは関係ないよ」と私が言うと、皆さん一応に納得のいかない顔です。どうも一般的には、「演説内容を不特定多数の心に届くようにするならば、一生懸命さをできるだけ大きくガサガサな声で表現しなければならない。」と、とらえられているのかも。

声がれを起こす場合は、息の押し出し方に何らかの問題があり、その結果として声帯に無理な力をかけていることがほとんどなのです。つまり、懸命に大きい声を出すだけの状態では、声の強弱やトーンを変える余裕もなくなります。その状態で、ほんとうに伝えたい政策や主張が人々の心に届くでしょうか? 

もちろん当選に至るためには、ほんとうに数多くの要素を積み重ねる必要があることでしょう。でも、声がきれいなままの候補者は、最後までコントロールの利いた声で演説する力強さと余裕があり、だからこそ、人々の共感を呼ぶ部分も多くて当選できたのではと、私は考えています。

もし、皆さんが街頭で訴える人に出会ったとしたら、必死にがなりたてるだけの人と、堂々と自分の言葉と表現力を使って引きつける人のどちらを信用するでしょうか?答えは明白ですよね。